山主所感《信の風》
障子、襖を張り替えました。
あわせて、普段さぼりがちな掃除をせっせと。普段の部屋、特に机の上と言うと見事な散らかり様。
これからは常に、まめに掃除と整理整頓!
信仰も同じ。
一時だけ燃え上がるように熱心にお参りし、火が消えたようにお参りしなくなる「火のような信仰」ではいけません。
絶え間なく流れ続ける「水のような信仰」こそ正しい信仰だと宗祖は諭されています。
水は氷や空気になっても常温では水に戻ります。
本来の私たちは仏様の従者・弟子・子どもです。本来の自分を見失わない、自身の尊さを忘れない功徳。
一つにまとまると大きな岩ですら押し動かします。他を動かす功徳 異体同心の功徳。
どんな形の器に収まる、順応出来ます。平等とも言える功徳。
他の汚れを落とすことが出来る事から、清浄な功徳。
さらに無色透明、透けて見えるから、隠し事がない正直という功徳。
常に高い所から低い方へ流れますから、常に精進する功徳があります。
これら水の功徳は全て仏様の功徳です。
振り返ってみると、私たちの身体の七割が水分。尊い功徳でいっぱい!
仏様の功徳は私たちの功徳です!
功徳は頂くばかりでなく発揮しなくてはならないものなのです!
本成寺 往来 オーライ
★ 令和4年6月8日、義兄が逝ってしまった。
行年68才。名古屋市南区法筵寺第二世の住職でした。
★病を患ってから、病と闘い抜き、やがて死を覚悟されてから、子や孫に現実を示そうと、自坊での療養を選択。
★やせ細り、声も十分に出せない姿をもって、生きる事の大切さ、価値、人としての役割、使命を最後まで示されました。
★人生に勝ち負けは無いが、僧侶として布教し尽くした生涯はあっぱれでした。
★ただ、お許しください。葬儀の際、名古屋市内寺院を代表しての私の弔辞は、涙するだけだったことを。
副住職行佑 戦争殉死者慰霊の道
○令和4年7月、沖縄戦殉難者慰霊の唱題行脚に参加してきました。
○さらに同8月2日、長崎原爆殉難者慰霊行脚にも参加してきました。
○猛暑の中、団扇太鼓を撃ち叩き、力一杯お題目を唱えての行脚行進でした。
○我々僧侶が出来る事、やらなくてはいけない事、やれる事と言えば、やはり祈る事、拝む事、供養することなのでしょう。
世の中がコロナ禍に没して、今や第七波の真っただ中。
外出自粛、リモートによる職務遂行。人と会う事が「悪」と指摘されかねない社会状況。
一方で行動制限のない現実。
行動に制限がある事でなく、無い事がニュースになる現状。
だからこそ、動くか、留まるのか、しっかり見極めなくては 住職 G