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本成寺便り№.019

山主所感《信の風》

 

 本成寺檀信徒の林浩嗣君。

今春中学を卒業し、取り組んできたバスケットボールを極めようと遠く九州の強豪校へ進学しました。

 

 頑張るぞとの意気込みと少々の不安を胸に親元を離れての生活が始まりました。

 

 家族との繋がりは電話、メールそして倶生神月守り。

 

 名古屋から九州へ向けて応援の気持ちを送る両親に、突然届いた知らせは「手首の怪我」。

バスケットボール選手にとっては致命的な故障にもなりかねません。

 

 調子が上がりAチームでの出番が増え始めた矢先の怪我。

骨折ではなかったが靭帯を痛め腫れと痛みが引かず、落胆する浩嗣君。

遠く離れて何もしてあげられない両親はひたすらお題目を唱えて祈るばかり。

 

 一週間ほどして浩嗣君からメール。「試合に出られず残念だったけど、もう大丈夫。」浩嗣君は驚異的な回復をしたのです。

 

 メールの結びには「お父さん、お母さんが祈ってくれていたでしょ。倶生神月守り、お題目のおかげだね」

 

 祈りはどれだけ離れていても届くもの。大切なのは、浩嗣君のように「おかげ」を心から受け止められるかなのです。

 心から「おかげ」を受け止めるのは正しい信仰なのです。「おかげ」と感謝の気持ちは必ず生活を豊かなものにしてくれます。

★日蓮大聖人のお言葉 『彼岸鈔』 より

「彼岸とは春秋の時正の七日、信男信女あって、若し彼の衆善を修して小行を勤むれば、生死の岸より苦海の蒼波を凌ぎ、菩提の彼岸に至る時節なり。故にこの七日を彼岸と号す。」

 

 春と秋、それぞれ七日間の彼岸。この間に善行をすれば小善は大善となり、悪行をすれば小悪でも大悪となるのです。

善い行いとは、人として、さらに仏としての良い行いで、反省〔懺悔〕と祈り・誓いであり、具体的には懺悔を伴う供養です。

つまり先祖供養のみならず、水子供養を行うことが、彼岸の意を受けた供養であります。

 

 正しい彼岸供養の為には先祖代々への塔婆供養だけでは片手落ち、水子への塔婆供養を欠かさず行いましょう

平成28年9月25日 午後1時より

 

秋季彼岸会 厳修

本成寺 往来 オーライ

●社会に深く浸透しているインターネット

グーグルマップで本成寺を見てみると、山門脇駐車場に私住職の姿を発見。

なんだか、別世界の自分に出会った気分

●此岸という娑婆世界でもがいている私と、彼岸という浄土で理想の姿の手本を示しているのも私。

●私たちは本来浄土に暮らす仏なのです。


五輪では多くの感動が届きました。

私たちは感動を伝える尊い力、受取る素晴らしい力の持ち主だと、改めて感じた夏でした。それにしても暑い!

住職 G